失われた10年と言われた時代から10年以上が経ってしましました。

バブル崩壊後の日本は経済成長が止まってしまったように見えますが、本当にそうなのでしょうか。GDPとして経済成長が行われていなくても、人口が減っている場合、一人当たりのGDPを確認したほうが良いと思います。先進国のGDPはおおむね、一人当たりのGDPが一定水準となっており、それがじりじりと下がり始めるようであれば、経済が停滞していると言えるのではないでしょうか。ちなみに、アメリカの一人当たりのGDPは他の先進国と比べてとびぬけています。やはり世界一位なんだなと痛感しました。

 国が発展する過程で経済が成長し、社会インフラが拡充してきます。日本はハードは一定の充足をしているでしょうが、介護や福祉、教育などのソフトの面ではいろいろよりよくすべきどころはまだまだあると思います。昨今の過労死、長時間残業といった労働環境についても、”豊かさ”と言う名の下、どのような制度がふさわしいのか、仕事をどのように捉え、距離を保つのが望ましいのかは時代により変わるはずで、これからも最善策のための模索は続くはずです。


 バブル期までの鉄鋼や社会インフラ、家電、自動車と言った製造業による繁栄と、90年代半ばからのインターネット産業の隆盛を経て、現在に至ります。今はどんな産業が経済を下支えしているのでしょうか。明確な業態を思いつくことはできませんが、世界的に見てももしかすると次期産業を模索しているときなのかもしれません。自動運転やIoT、AIなどのキーワードを思いつきますが、横文字のキャッチフレーズは新聞をにぎわせはするけど大半は静かに消えていきます。

本当に社会が必要なもの以外は定着することなく消えていく運命にあるとともに、近くの野菜直売所をみると、人間や自然に関わる根幹の仕事、生業(なりわい)というもんは力ずよく残っています。先日、1パック800円もするイチゴを店頭販売する農家を見つけて買ってみましたが、この値段で市場を経由しないで商売をしている根性とその裏にあるはずの努力・工夫に脱帽しました。


 自動運転だけは数年後に普及する世界的技術となるのは間違いないと思います。そうなれば、タクシーもトラックドライバーも必要なくなるわけですが、そうなった時の社会で、人々は幸せに暮らしているのでしょうか。

 技術は幸せのためにあってほしいです。流通コストの削減の裏で職を失う人がいるかもしれないことを想像すると、心が少し曇ってしまいます。