幼稚園や小学生の子供を持つ親にとって習い事は必ず通る話題ですね。


習い事がほんとに沢山あるんですね、それも子供がその年ごろになるまでは気にしていませんでしたが、広告が昔から確かに入ってましたよ、いろんな種類のものが。

水泳や習字、そろばんに公文というあたりが昔ながらの定番どころでしょうか。

これに野球やサッカーなどのスポーツクラブが加わる感じが私の子供の頃の選択肢だったと思います。ピアノもありましたね、大体がドに絵にもピアノがあって女の子はピアノをみんな一度は習う、そのためにあの高そうでぴかぴかなピアノが応接間においてあるというのが、昭和の王道でしょうか。

それぐらいでも結構選択肢があって、それ以外は放課後は遊ぶ時間!ではなかったでしょうか。


 今は体操があります、体操。学校の授業のあの体操が習い事として確立されているのには少し驚きました。鉄棒とマット運動、跳び箱の3種目を習うんですが、みんな何となくどれか一つはうまくいかずに苦手種目になりそう
なもの。

逆上がりがズッとできずに学業が終わった人も沢山いると思うんですよ。

私も、子供と一緒に近所の公園で逆上がりをやってみました。歳を取るとその技能の有る無しに関わらず、頭の回転がついていかないのか、気持ちが悪くなるんですよね。目が回るだけでなく、気分が悪くなるのと、急な運動で胸の鼓動が早くなる感じ。

力任せですが、何とか自分は逆上がりができて、子供の前で面目は保てました、えへん。でも、教えるのは本当に難しいし、人に教えるときは、どのようなことでもそうですが、教える側の器というか力量というか、その時の状況も言葉と態度で出てしまうんですよね。

お怒りモード、しつけモードを少し続けてしますと子供のほうが心折れてしまって、せっかくの親子のキャッチボールが終わってします。

一度折れた翼はなかなか元に戻らないもので。この前の自転車乗りはうまくいったのに・・・

マット運動は前転とか、側転とか、少しオリンピック的なイメージですね。

そして、出来不出来が極端に出る跳び箱。私は普通に飛べる高さまでは飛べて、それ以上のこれは壁だよ 超えられるはずないじゃん ってのにはぶつかって という凡庸そのものでした。逆に言えば、低い弾が飛べない人
の気持ちがよくわからないですね。

足を開こうが、閉じようが、どこに手を付こうが、なぜ跳び箱の上にお尻で着地する人がいるのかもわからない。
しまいには、飛べずに厳しいご指導を受けている人がいると、なんでこんな事で”○○がダメなんだよ、こうしなさい”なんて、あの口調で言われなきゃいけないんだって思ってたり。

小学生までの短い人生でも、周りの大人を見てもこんな風にものを飛び越えてる人は見たことないもん、高跳びならわからんでもないが。っていう小学生の体育の一コマが習い事になっています。

 他にも、テニスやバレーはまだ健在のようですね。なんというか、お金持ちでセレブな感じで、クラスに一人いるかいないかのお上品な習い事。ベルサイユの薔薇のようにカメラで撮ったらその映像の枠には必ずお花が咲いているような世界でした。

今は、和太鼓なんてものもあるようです。お祭りの時に和太鼓を10人ぐらいで演奏してるのは、かなりスカッと気持ちいいもんです。工作クラブのようなものもあれば、ボーイ・ガールスカウトもありますね。

 習い事は文字通り、対象を上手になるように、技術を身に着けるための修練の場と勝手に子供心に思っていましたが、今はがぜん楽しむ場です。

辛い、きついは流行らないのは時代の流れですが、楽しいとか達成感と言った肯定的な活躍の場として習い事が沢山増えているのは、なんだかうれしいですし、とわいえ、”努力”なんて言葉が死語になった時代はどうなるのかと一抹の不安も感じるこの頃です。