30台は子育てのライフステージです。
乳児はある意味簡単というか、お互いが猛烈に求め合う相思相愛の恋人同志みたいなもんで、おむつとミルクとスキンシップだけなんですよね。
乳児はある意味簡単というか、お互いが猛烈に求め合う相思相愛の恋人同志みたいなもんで、おむつとミルクとスキンシップだけなんですよね。
買い与えるものも、常に最高のものを!、一生に一度だから考えぬいて探しぬいた絶品を!みたいな純粋な関係ですよ。生まれてから半年ぐらいは表情がほとんど出てこないので、想像したより拍子抜けですが、肺活量も
まだまだなので鳴き声もか細いんですが、100%の鳴き声で汗だくになって泣く姿を見るとやっぱり愛おしいとか、守りたいと思いましたね。
物心つき始めると、自我と発達がいろんな形で見えてきて、それが幼稚であるがゆえにかわいいし、愛らしくて。でもここら辺から、自分が漠然と考える育児をそのまま続けていいのか、ものすごく怖いことで、このまま突き進むことで、子供の心に暗い影を落とすのではと思い始めたんです。
ニュースでは親子・兄弟の死傷事件を報道しますが、判で押したように”仲が良い家族で、あんなことが起きるとは夢にも思いませんでした”ってことになっているのが、何か心に引っかかって。
育児書や子育て本を図書館で借りて毎週毎週読むと千差万別で、いろんな人が自分の思う指導法を思い思いに書いてますね。
これは逆に新鮮で、量を読み込むと傾向がわかるし、共通項と違いが見えてきます。
だからこそ、コアな共通項は守るべきものかもしれないので、意識するものの、後は、自分の人生観や価値観と合うものを選べばいいんだなと思いました。
育児もブームではやりすたりがあるはずで、その時代に必要とされる能力や素養は異なるため、古いから間違っていて、新しいから正しいわけでも無いはずです。
私が心惹かれた育児方針や先人の教えの的確さなどを拾ってみました。
「三つ子の魂百まで」
大人は複雑な感情と思考の下で理性を覆い尽くしている様に見えて、乳幼児期の性格は大人になってもほとんど変わらないと思います。
負けづ嫌いだったり、せっかちだったり、天然だったり、悲観的だったり。
三つ子の魂を作り、影響を与えるのはその多くが親であるため、親の責任の大きさを痛感します。この言葉に隠れたキーポイントは、0歳、1歳児は自ら感情を発することがないため、親の声掛けや子供に向ける態度が極めて大切です。
子供が無反応だから、感情に任せて汚い言葉を使ったり、暴力を振るうようなことがあれば、学童になってからいくら言葉で諭しても変わりようがないと思いますし、逆にニコニコ笑い上戸で、穏やかな環境で育てば、その子は一生、愛嬌よく、人に好かれる人になると思います。
「子は鎹(かすがい)」
子供の成長につれ、可愛いだけの子供の会話に教育や育児方針等で 意見が衝突することは増えてきます。
子供がいなければ起こりえない衝突かもしれませんが、かすがいとして両親の緩衝材になるのが天の授かりものである、子供の役割かもしれません。
先人は本当にうまくいったものです・・・
「好きこそものの上手なれ」
子供の集中力は驚きの連続で、大人から見ると未熟で幼稚なものでも驚異的に想像力を膨らませ、飽きることなく、いつまででも求める形になるまで熱中を続けます。
そのきっかけはほんのちょっとした優越感であったり、誉め言葉であったりで、達成感や満足感が非常に高いんだとあの笑顔が示しています。にんまりして、口角があがり、目じりが緩み、嬉しさ爆発の笑顔、手をたたいたり、頭をかいたり、お腹を変えて笑ったりのあの経験は、私はこの年齢になって最も羨ましいもの、私がほしいなと思うものかもしれません。
周りの大人で無邪気にあの興奮を味わっている人は見かけたことがないと思います。学校の先生は、子供の成長や将来性は無限です、なんて言いますが、自分の人生ではそう思えることはあまりありませんでした。
でも、自分の子供を見る限り、そうであるなと思います。オリンピックを見たり、地域活動に参加したりした後の、のめりこみ方、熱中する力は、周りの大人がうまくサポートする限り、どこまで伸びるのか、どこまで膨らむのか、寝ても覚めても考え続ける忍耐力や絵にかき、言葉にする想像力、躊躇しない突破力なんて素晴らしいな、伸ばしてあげたいなと強く思います。
それだけの興奮を感じない、感じられない、頭で考えてしまって二の足を踏んでしまう自分との対比を特に強く感じでしましますね。
あの熱意と集中力をもってすれば、才能や努力なんて、結果的に後からついてくるんではないか、ノーベル賞でもオリンピックでもなんでも、世界に飛び出す勢いを感じます。
まだまだなので鳴き声もか細いんですが、100%の鳴き声で汗だくになって泣く姿を見るとやっぱり愛おしいとか、守りたいと思いましたね。
物心つき始めると、自我と発達がいろんな形で見えてきて、それが幼稚であるがゆえにかわいいし、愛らしくて。でもここら辺から、自分が漠然と考える育児をそのまま続けていいのか、ものすごく怖いことで、このまま突き進むことで、子供の心に暗い影を落とすのではと思い始めたんです。
ニュースでは親子・兄弟の死傷事件を報道しますが、判で押したように”仲が良い家族で、あんなことが起きるとは夢にも思いませんでした”ってことになっているのが、何か心に引っかかって。
育児書や子育て本を図書館で借りて毎週毎週読むと千差万別で、いろんな人が自分の思う指導法を思い思いに書いてますね。
これは逆に新鮮で、量を読み込むと傾向がわかるし、共通項と違いが見えてきます。
だからこそ、コアな共通項は守るべきものかもしれないので、意識するものの、後は、自分の人生観や価値観と合うものを選べばいいんだなと思いました。
育児もブームではやりすたりがあるはずで、その時代に必要とされる能力や素養は異なるため、古いから間違っていて、新しいから正しいわけでも無いはずです。
私が心惹かれた育児方針や先人の教えの的確さなどを拾ってみました。
「三つ子の魂百まで」
大人は複雑な感情と思考の下で理性を覆い尽くしている様に見えて、乳幼児期の性格は大人になってもほとんど変わらないと思います。
負けづ嫌いだったり、せっかちだったり、天然だったり、悲観的だったり。
三つ子の魂を作り、影響を与えるのはその多くが親であるため、親の責任の大きさを痛感します。この言葉に隠れたキーポイントは、0歳、1歳児は自ら感情を発することがないため、親の声掛けや子供に向ける態度が極めて大切です。
子供が無反応だから、感情に任せて汚い言葉を使ったり、暴力を振るうようなことがあれば、学童になってからいくら言葉で諭しても変わりようがないと思いますし、逆にニコニコ笑い上戸で、穏やかな環境で育てば、その子は一生、愛嬌よく、人に好かれる人になると思います。
「子は鎹(かすがい)」
子供の成長につれ、可愛いだけの子供の会話に教育や育児方針等で 意見が衝突することは増えてきます。
子供がいなければ起こりえない衝突かもしれませんが、かすがいとして両親の緩衝材になるのが天の授かりものである、子供の役割かもしれません。
先人は本当にうまくいったものです・・・
「好きこそものの上手なれ」
子供の集中力は驚きの連続で、大人から見ると未熟で幼稚なものでも驚異的に想像力を膨らませ、飽きることなく、いつまででも求める形になるまで熱中を続けます。
そのきっかけはほんのちょっとした優越感であったり、誉め言葉であったりで、達成感や満足感が非常に高いんだとあの笑顔が示しています。にんまりして、口角があがり、目じりが緩み、嬉しさ爆発の笑顔、手をたたいたり、頭をかいたり、お腹を変えて笑ったりのあの経験は、私はこの年齢になって最も羨ましいもの、私がほしいなと思うものかもしれません。
周りの大人で無邪気にあの興奮を味わっている人は見かけたことがないと思います。学校の先生は、子供の成長や将来性は無限です、なんて言いますが、自分の人生ではそう思えることはあまりありませんでした。
でも、自分の子供を見る限り、そうであるなと思います。オリンピックを見たり、地域活動に参加したりした後の、のめりこみ方、熱中する力は、周りの大人がうまくサポートする限り、どこまで伸びるのか、どこまで膨らむのか、寝ても覚めても考え続ける忍耐力や絵にかき、言葉にする想像力、躊躇しない突破力なんて素晴らしいな、伸ばしてあげたいなと強く思います。
それだけの興奮を感じない、感じられない、頭で考えてしまって二の足を踏んでしまう自分との対比を特に強く感じでしましますね。
あの熱意と集中力をもってすれば、才能や努力なんて、結果的に後からついてくるんではないか、ノーベル賞でもオリンピックでもなんでも、世界に飛び出す勢いを感じます。
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