我が子の小学校では運動会は春に実施されます。私が子供の頃は秋の大運動会!っていうのが当たり前で、夏休み後の2学期の体育は運動会の練習ばかり、真夏の炎天下の中、ダンスや組体操の練習に励んだ記憶がよく残っています。

 我が子の小学校もGW明けの5月に運動会を行いますが、少子化の影響かクラスは人学年2~3クラスとです。つい入学したときの6年生は4クラスだったのが、高学年になった今の1年生は2クラスと確実に少子化が現実に生徒数として表れています。生徒が少ないと、運動会の運営も少し工夫が必要なようで、奇数クラスの学年もあるので、学年内で赤白の組み分けが行われています。

 クラスごとの組み分けでないので、何となく対抗意識が薄れる感じがしますが、3クラスの学年はこうするしかないのも現実で。
 応援団のエールの交換はみんな一生懸命に声を張り上げて応援歌を歌ています。こういうことは日本らしいのではと思いつつ、エールが英語?であれば、海外でもこういう文化があるのかもしれませんね。

 小学生は学年ごとの成長差が大きいので、1年生はまだ保育園の延長線である一方、5・6年生は10歳を超えてかなり大人びています。ダンスや演技も高学年は細かなところを意識して、同調性を気にしていますが、低学年は大声で楽しく踊ることやお母さんを探しているだけで、その違いが面白いですね。

 毎年見る我が子も、毎日見ているので成長を大きく感じることはありませんが、さすがに、1年生と比べると昔を思い出しますし、大きく成長したなと感じますね。

 最近は危ない競技が無くなったとか、競争させなくなったなんて時々聞きますが、騎馬戦もやってましたし、選抜選手のリレーもやっていて1番になるために必死で走っている子が沢山いました。この議論はなかなか考えものです。競争ばかりが強いのは確かに問題かもしれませんし、競争がない大人社会もないわけでどのぐらいが一番良いのかは難しいものです。

 競争の一瞬に一生懸命になり、その結果に一喜一憂して、次の日にはほぼ忘れてしまう。そうやってちょっとずつ成長していくわけで・・・ その繰り返しで心の成長を遂げながら、一歩一歩前に進んでいくんだな、それの一端を大々的に見せてもらえるのが運動会だなと、ほっと思いました。

 我が子の頑張りに嬉しさと頼もしさを感じるとともに、自分の子供の頃と重ねてみたりすると、親子の繋がり、命のリレーを感じることもあるとともに、時代の違いや、少し歳を取ったなと思わされるところもあり。これが人の営みであり、時間は流れ、時代は変わるが、命の繰り返しが延々と行われているんだと、大きな青空を見ながら思いを馳せることとなりました。

 そういえば、6年生は親子一緒のリレーが行われるのが恒例となっています。今となっては入学した時よりも6年生リレーの方が近いんだな、時間の流れは、子供の成長は早いな。

 その分の自分も歳を取っていることはあまり感じませんがね。