子供の目の輝きや想像を超えた反応に関心したり、大きな可能性を感じることは誰もがあるのではないでしょうか。いったんゾーンに入った子供が熱中する様子や粘り強く取り組む様、目に見えて成長する姿を見ると、このままいくとどこまで伸びるのかワクワクすることもあります。

 一方で、急に興味を失い、やる気がなえて完全な停滞モードになることもよくあること。なんだ、我が子はこんなものかと思うのが世の親のほとんどではないでしょうか。

 一歩引いて俯瞰してみると、子供がどのようにことによってやる気を出したり、くじけたりしているのかは周りの大人の影響がほぼすべてです。友達や兄弟など身近な年齢層やテレビなど様々な影響があるのは間違いないですが、親や先生などの身近な大人の声掛けによって、子供の感じ方、考え方は千差万別に変わります。
 前向きな考え方をする子供、周りの人の気が付く子供、意地悪な子、明るくよく話をする子。つくづく思うのは、子は親の鏡で、親の言動をよく写した話し方をし、行動します。自分の子供の嫌なところが見つかれば見つかるほどに、自身の在り方を見つめなおして、悪いことをしたな、よい人になってほしいな、そのために親自身を少し変えないといけないなと思います。


 人間は大人になっても親の影響を強く受けています。半分以上は親の影響であると言っても過言ではないと思います。結婚して夫婦の価値観がぶつかるかることがありますが、夫婦それぞれがぶつかっているのではなく、双方の実家・両親の価値観のぶつかり合いであることが多いのです。こうすべきで、これはよくない何ていうのは、間違ていることはあまりありませんが、相手の意見・考えを否定出来るほどのものではありません。

 これに気付かないと、そのどちらを子供が引き受けるのか、子供は少し悩むのではないでしょうか?お父さんの言うことが良いのか、お母さんが言うことが良いのか。子供の関心をひこうと親同士も駆け引きをしたり、相手を否定したりすることもあります。そんな複雑な気持ちを持たせるよりも、双方の良いところをそれぞれ、子供には与えてあげればよいのです。こういう場合はお母さんの意見を、こういう場合はお父さんの良いところを見習ってねと。

 ずっとずっと昔から、子供をどのように育てると”良い”子供になるのかは様々に議論され、格言や王道もあると思います。私は「子供の人格を尊重すること」、「愛情を注ぐこと」が大切だといつも思って、接しています。

 育児書によく書かれていることですが、それがどういう意味を持つのか、何をすればよいのかは様々です。しかし、様々な経験を通じて、こういうことを意味しているのかと言うことが子育てをしていると分かることがあります。

 子供は自分の従属物でもなければ、ペットでもありません。親の責任の名の下、しつけの名目で子供の気持ちをしいたげたり、否定することはダメだと言っているんだと思います。習い事を例にとりましょう。私は全身運動になるので運動系の習い事は水泳を子供にしてほしいと思っていました。でも体育がしたいと子供は言い出しました。水泳も体育も同じ体育館の中でやりますし、月謝もそれほどの違いはありません。昔の私ならば水泳を”させて”いました。「人格を尊重する」とは、子供のやりたいことをやらせてあげることです。子供と考えるのではなく、20を過ぎた大人だったらどうでしょう。無理やり水泳をやらせますか?どうせ続かないと思いませんか?いやいややらされる体育にどれほどの意義があるのでしょうか?”人格・個性を尊重する”と堅苦しく考えると敷居が高そうに見えますが、相手を自分と対等な大人と考えてみると、その意味がよく分かります。そう考えてもなお、しつけのため、他の意図をもって、子供の意に反することをさせる場合はあるかもしれませんが。

 「愛情を注ぐ」ことも簡単なようで具体的にどのようにしたらよいのかよくわかりません。「子供の目線で考える」も同義だと思っています。子供が特に小さい時に感じたのは、子供と同じ時間を、子供がやりたいことにとことん付き合ってあげることが”愛情”ではないでしょうか。砂場で遊んでいる子供は飽きることもなく、ずっと熱中して土いじりをしています。大人は時計を見て30分時間を決めたがったり、服が汚れことを嫌いますが、子供がやりたいことは反対です。子供のやりたいことをとことんやらせてあげることが親の愛情だと思うんです。お金をかける事とはイコールではありません。興味を持ったことにとことん付き合うのです。子供は熱中するので何度も何度も要求してくることもありますし、急に飽きてやる気をなくすこともあります。それぞれに付き合ってあげるのが大切で、そうすることがその子の発育・発達に大きく貢献するとも思います。

 また、とことん付き合ってくれた親は必ず大好きになってくれると思いますし、10代の難しい年齢になっても深層の心は必ずつながったまま、大人になってくれると思います。私が明示的にこのことに気づいたのは小学校に上がってからです。私も釣りにハマって、毎週末出来る限り釣りに行っていたんですが、熱中することにとことん付き合ってくれる人って素晴らしいし、それが友達だったり両親だったりするんだろうなと思いました。

 毎日のことで愛情を注げるのは何だろうかと考えると、ご飯を作ったり、一緒に寝たり、いくつかあるんですが、私は”させる”勉強でなく、丸付けで誉める勉強を楽しくやってもらうことをターゲットにしました。毎日丸付けして、全部あっていたら100点ではなく、コメントを書いたり、シールを貼ってあげたりするのです。このやり方は学校の先生から学びました。ノートやプリントに短く一言書いてあるほめ言葉に子供は非常に影響を受けているのに気づいたのです。”字がきれいにかけてるね”と言われれば、かならず次もそう言われたいので、きれいに字を書くんです。縄跳びが上手になったねと言われれば、週末は縄跳びを練習しています。

 その一言を書くことがそれほど効果があるのか?面倒だと思っていたんですが、これこそが大切な事だと気づいてから、丸付けをするのが楽しくなりました。100点と書いても、すぐに子供は飽きるんです。気付いたコメントを毎回でなくてもいいんです、むしろ毎回でないほうがいいと思いますが、書くんです。そうすると子供は必ず見ていますし、覚えています。全部丸になっているのかの確認以上に、私のコメントを読もうと待っているんです。これが愛情のキャッチボールなんだと気づいたとともに、こんな大切な事に気付いた私は幸せだなと思いました。優秀な塾の先生、学校の先生、スポーツ指導者はこういう誉める事に非常にたけているんだろうな、相手の気持ちをよく観察しているんだろうなと想像しますね。

 こういう毎日の小さなほめ言葉や刺激が積み重なると、子供はどんどん伸びていくんだろうと確信します。出来るだけ外にでて、いろんなものを見せたり、体験させたりする中で、子供が強烈に興味をひくもの、熱中できるものにいつか出会うんだろうと思うんです。そんな道を作ってあげられる親になれるのは最高の幸せですよね。優秀な子供にしたいとは思いません。熱中したり、やりがいを強く感じるものを見つけて会える親になりたいのです。そのためには、”愛情”を常に持って、子供が喜んでくれるかな、楽しそうにやってくれるかなと想像しながら、一方であまり無理をしすぎず、続けることが大切だと思います。

 毎日をやりがいをもって、楽しく、幸せに生きられる人になってくれれば、私にとってはノーベル賞を取ることよりも素晴らしいことですし、そういう人は周りも幸せにしてくれると思います。

 どこかで、気が滅入ったり子供と衝突することも必ずあります。最初に述べた通り、子供は別人格です。自分の一部ではないんです。妻と自分と考え方が違うのと同じです。当たり前のことだと思えば苦しくないです。また同じであるように仕向けてもダメです。違うのが自然なんです。子供が生まれた時にどんなことを感じたでしょうか。大きくなったから、子供に求めるものは増えてくるかもしれませんが、一緒に楽しく毎日を過ごせること、笑顔でハグ出来ること、一緒に買い物にいったり、釣りをしたり、最高の友達が出来たことに幸せを感じていれば、子供との関係は良好なものになると信じています。頭のいい子にしたいとか、あれはダメとか言っているのは、子供を自分の従属物と思っているからではないでしょうか。家業を継ぐならまだしも、子供は自信で独立して生きていく、旅立っていく自分とは別の人間です。楽しく時間を居有することに目を向けて、一家団欒、家で家族が集うのが幸せであれば、子供はすくすく育つものだと信じています。

 子供が大好きな自分をこのまま大切にしたいです。