私は子供に恵まれました。健康で明るく、可愛い、愛おしい子供達です。生まれた直後は子育てとは何たるかなどと考えたこともありませんでした。親が自分にしたように自分も何となく子供を育てればいいんだろうなと思っていました。

 みんなそうだと思いますよ。頭がよくなる・知育に役立つなんてことは育児雑誌だけでなく、テレビでもよくキーワード押して取りあがられます。頭が良いことが大切なんですね。情報はあふれているものの、子供を育てるということがどのような意味があるのか、どのようにすべきなのかを考え始めたのは保育園の年少・年中ぐらいに子供が成長してからだったと思います。
 年少・年中になるとかわいいんです。子供は3歳ごろが一番かわいいと時々聞きますが、よく動き回り始めて表情が豊かで、親の言うことを聞かなくてもまだ手の内で戯れる孫悟空の様な感じでしょうか。疲れたらコロッと寝るんですが、その寝顔を見ると、目に入れても痛くないという表現がよくあてはまりますね。

 一方で、感情を自分で表現し始めた子供を見ているとかわいいと思うと共に、この子の性格や感情や人間性を伸ばすのは親である私の影響を最も受けるんだとしみじみ考えました。私自身が親に似ているなと歳を重ねるほどに思う日々が続いている中で、我が子にどのように接するといいのか、悪いのか、自分は何も知らずに我流に頼ろうとしているなと思ったんです。これはまずいのではないか。

 「ほっておいても子供は育つ」と言いますが、この言葉は本当は非常に怖いことを意味しているのではないか・・・
昨今は親の育児放棄が叫ばれた久しく、残念なニュースも耳にします。ほっておいても子供はごはんさえあれば動物としては成長しますが、人間として必要な素養を身に着けて、周りの人と仲良くしながら、やりたい事を見つけて頑張る人間に育つかは別問題ではないか。


 ここで少しやる気が出たんです。残業が続いていて昼夜逆転するような生活だったんですが、仕事一辺倒になっている自分の価値観に新しいものが加えられるかもしれない、子供だけでなく、私もよい刺激になるかもと思って。

 知育や年齢ごとの学習内容なんていうのは、周りの人に聞いてもなかなか本質のところは聞けないもんです。
みんな自分の子育てに自信がある人なんかいないからでしょう。自信をもって説明できる人はむしろ一つ上の世代だと思いますが、その世代からお話を聞かせてもらう機会はなかなかありません。


 頭でっかちになりなってはしょうがないですが、このころから図書館で本を借りる機会が増えたこともあって育児本を数冊、毎回借りて読むことにしました。いろんな人の知識を入れてから、どのように感じるのかを大切にしながら妻と教育論の違いを話てみました。

そうすると、次に面白いことが出てくるんです。夫婦の幼少、生い立ちがいかに違うのかとそのことが今の夫婦それぞれにどう影響するのか。「だから、俺ってこう考えるんだ」と言うことが沢山出てきました。自分の子供時代を振り返り、自分のコンプレックスがどのように出来てきたのかなんて考えもしないことを考える機会になるんです。夫婦お互いの理解にすごく役立ったし、家庭の違い・幼少期の違いが原因であることがはっきりわかると、「だったらしょうがないようね、そう考えるよね」って思えるんです。そうすると相手の性格を受け入れられる様に少しなります。この話題は面白そうなので、別の機会に書いてみます。


 と言うことで、子供とどう付き合っていくのか、どうしたら幸せになってくれるのか、どうしたら家族みんなが幸せになれるのかって考え始めるんです。いつもの小さなイライラをぶつけてはいけない、子供を個人として認める、子供の個性を伸ばすって言葉でいうのは薄っぺらいですが、具体的にどうしたらいいのかという私なりの意見をパート2でご紹介します。