外房でシマアジ・ヒラメ釣りのじぇみないブログ

穏やかで明るい毎日となれば日々是好日。外房中心に内房や川釣りを楽しむ。夏はシマアジやショゴ、冬はヒラメやアジ釣り。気長に読んでいただけると嬉しいです。

 川魚の王様〈女王でしょうか)と言えば、私は鮎を思い浮かべます。親父が夏になると土日にいつもと言っていいほど釣りに行っていたので、よく食べていました。


 最近はスーパーで鮎を買うことが時々あります。年中取り扱っているのでしょうが、大体6月から秋口の9月ぐらいまでがよく店頭に並んでいると思います。


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年に何度かは知りませんが、交通安全週間というものがあります。


回りくどい言い方ですが、そういう習慣が定期的にあることに時々気付くのです。



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雨や曇りが多い週末だったので、家の中で子供たちと何か出来ないかなと考えました。料理はお手伝いしてくれるので、今回はお菓子を作ることにしました。


 まだ高度なお菓子は飽きたり、自分たちで出来なかったりするとせっかくのお菓子作りも楽しくなくなるかもしれないと思って、ある程度簡単にお手軽にできるものを探してみました。


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 30を過ぎてから、体力が落ちたととは感じませんが、何となく代謝や免疫力が落ちたのかなとふと感じることがあります。


 40になって、ちょうど半分ぐらいまで人生を進んできましたが、学生を卒業して、ざっくり半分です。


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数年前に知人のつる薔薇が可憐で、シーズンになると小さくて多輪の花が咲き乱れる様子に感動して、心打たれました。

さっそく近くのホームセンターや販売店に足を運び苗を見てみましたが、やはり結構値が張ります。1株が2000円から3000円で、外国メーカー数社がかなり代替的に販売を独占しているような感じを受けました。


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あっという間に30度以上の真夏日が過ぎ去って、晴れ間が恋しい秋真っ盛り。


店頭にはブドウや梨、桃などの秋の味覚が色とりどりに並んでいます。栗も出てくるでしょうし、柿、ミカンもでてくるでしょう。スーパーの裏口から業者さんが品物の搬入をするところをちらっとみますが、お店の担当者はいつもより大忙しかもしれませんが、ディスプレイは楽しみなのかな?と思います。


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 この秋は秋晴れが少なくて、するすると涼しくなりました。


車窓から田畑を見ると、刈り取りを待っている黄金色のところ、刈り終わった田んぼ、まだ出したばかりの田んぼとまだら模様でした。私の子供のころは、同じ黄金色の田んぼが1週とたたずにあっという間に刈り取られ、ほんのわずかにはざかけされて、あとはトラックに籾米が運ばれている光景でした。

今年は天候不順とまではいわないものの、台風が多く、農家はお米だけでなく心労いかばかりかと思いました、がなんとか無事収穫を迎えることができました。


 農家でもないのに、”できました”というのは他でもない、今年は子供の学外活動で田植えをさせてもらって、最後の稲刈りをしたんです。ここ数日は曇りか雨ばかりがずっと続いていて、まれに見る晴れ間、今日だけ、の間隙をついて稲刈りに挑んだんです。

10時ぐらいに集合しても、すぐに収穫しないので結構待って、10時半ぐらいに開始です。

米の収穫は水と相性が悪く、収穫時の水分はその後の乾燥に大きな影響を与えるんだそうです。穀物はあの”高床式倉庫”の正倉院がそうであるように、湿気を嫌うんですね。

収穫時の穀物は乾燥をしっかり行わないと、カビる、腐る、虫がつくため、長期保存が出来ないんですね。あの30分の”待ち”時間がどの程度の好影響を与えるのかは知りませんが・・・ 

田園の中、29度予報とはいえ風もなくムシムシするあの30分は結構つらいですね、何もせず、野外で30分もボーっと待つのは。


 草刈りが始まると早いもんで、子供の鎌使いに最初は戦々恐々としてましたよ、手を切るのか足を切るのか、人を切るのかとね。

刈り取った稲もどのように扱うのかも知らいないので、最初の10分は、出来るだけアドバイスを我慢我慢です。畦沿いに一株一株平行に刈っていけば、2列目のための足場もできるのに、なぜかずんずん奥に入っていくのが滑稽ですね。

ジャングルのお口を目指す冒険家のように。刈り取った稲穂も畦から離れてしまうので、ぬかるんだ足場を引き戻って畦においてなんてのを繰り返すんです。言わないとわからないかな、面倒なことをしてるのにって思ってたら、お百姓さんが”そうやるんじゃねーよ、こうやって平行に刈っていったら、倒れてる株もつかみ易いだろう”なんて、テヤンで口調で説明してました。

ここらへんで代替開始後15分。こっからの集中力は期待通りで、スピードアップ、刈り取りも少しは安心して見られる感じに。最終的には怪我なく終わりましたが、こういう時こそ危ないなと思ってまいたが、ここからの時間が一番充実して楽しい時間なんで、あまり邪魔せずちゃちゃ出さず、写真を数枚とることに専念。

30分程度で畦から2メートルぐらいの刈り取りが完了です。

昔はイナゴが沢山飛んでる気がしましたが、そこまでいないんですね、2cmぐらい。

後は赤とんぼが優雅にすい、すすーいと飛ぶ風景がヤッパリ稲仮の田んぼにはよく似合いました。

 最後はコンバインでガガッと刈るだけで、ここは風情も詫び寂もなく、文明とはこんなものかと何とも複雑。

機械化、省力化、スピードと生産性と裏腹に、何も聞こえず、あの軽油と排気ガスと土埃のにおいと、それを見守る20数名の親子連れ。ここは省略ですね。

結局2俵か3俵とらたみたいですが、農業のイロハを端的に濃縮して垣間見えた収穫体験でした。農業はやっぱり単純作業が基本ですね。頭を使わないという意味では決してないですが、土にまみれ、植物に丁寧に手を加え、見守っているかと思えば、ある一瞬は機械でざざっとあっという間に終わり。

あとは落穂ひろいのミレーもなく、数か月の長期休暇に入る田んぼが残るのみ。


 農家目線はここまでですが、消費者目線は全く別で、パッケージにある産地、銘柄、値段とそれ以上にデザインをみて数秒で選別完了。作り手の苦労も天候不順の不安・工夫を全く鑑みることもなく、何の根拠もない”安全だとう”という思い込みであとはレジに直行。

 スローライフ、食の安全性なんて流行りのキーワードにもろ手を挙げて賛成するつもりは無いですが、自分で何かを作って食べたり、作ったりする活動があまりに今の生活には少なすぎるなと思いました。

汗を流し、泥にまみれば、腹も減り、ありがたみを感じ、自然の変化、季節の移り変わりを目の当たりにしますよね。気付けば消費者という言葉がその名の通りですが、消費しかしていない自分にびっくりです。

消費だけです、買うだけです。買ったものを使う、食べるだけ。そのために働く。買ったもので第一次産業のように育てたり捕食したりしても良いですし、第二次産業のように加工したりってことがすごく減りましたね。

子供の頃はありました。釣りをすれば生き物を感じますよ。釣れたり、釣れなかったらいろいろ勉強するんです、魚の生態を、餌を、潮を、天候を。自分で竹とんぼを作ったり、たき火をして焼き芋作ったりすると、竹の特性や若竹、乾燥竹の違いも判れば、”遠火”の遠赤外線もよくわかれば、1時間後にじっくり出来上がる焼き芋に感動しますよ。


 我ながらいつも気づかされます、反省します。

スイッチ一つでお金一つで物事が手に入る、達成できるこの環境が、私を幸せにしているようで、我慢・辛抱ができず、満足しがたい人間になっていることを。

効率や生産性、利便性、成長ばかりを求めるこの社会は正しいか間違っているかはわかりませんが、私の求めるものではやっぱりないと思います。

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