先天的な障がいと考えると自分とは縁遠いものと考えがちですが、後天的なものはいつ自らの身におこるかわかりません。

パラリンピックの選手では、そういうハンディを精神的に乗り越えるためにスポーツを始めたという方も紹介されています。そもそも、人間の健康は崩れていくもので、いつ何時事故にあうやもしれません。

アッと思って気づいたらベットの上で、それから退院したら車いすなんてことも起きないわけではないでしょうし、突然の痛みで検査をしたら重病の宣告を受け、余命幾ばくもないとなるやもしれません。

健康に気を配り、健康の大切さをかみしめるのも大切ですが、怪我や病と付き合って行くことも、”学習”していく必要があるともいます。そういう意味で、すでに病気やけがで障がいをもっている方々は、先輩であり、先導ではないかと近頃は思うんです。

自分よりつらいであろう経験をして、それと戦い、乗り越え、折り合っていく心の強さを持っているんだと思います。

 歳をとれば目が、耳が、膝が悪くなって普段の生活が大変でなんて、テレビでも近しい人からも時々聞きます。悪くなるにも程度がありますが、自らの未来の時点で、目が突然見えづらくなり、治療法がないと言われ、あのスティックを持って街中を歩く時が来るのかもしれません。

 弱者への手当て、配慮が以下に行き届いているのかがその社会の発展を表しているとありました。

うなりました、この考え方には。そもそも点字ブロックが整備されたり、エレベータが駅に設置されたりというハード面だけでなく、障がい者教育の場を整備したり、その活躍の場を広げようとすること自体が、社会の力で、その社会は人の集まりなんですね。

 人生は続きます。どのように障がい者に接することができるでしょうか、考えてます。