外房でシマアジ・ヒラメ釣りのじぇみないブログ

穏やかで明るい毎日となるように日々是好日な生活を目指してます。外房中心に内房や川釣りを楽しんでいます。夏はシマアジやショゴ、冬はヒラメやアジ釣り です。他にも園芸、料理から、子供との毎日、育児までいろんなことをつぶやくので、気長に読んでいただけると嬉しいです。

2016年09月

 30を過ぎてから、体力が落ちたととは感じませんが、何となく代謝や免疫力が落ちたのかなとふと感じることがあります。


 40になって、ちょうど半分ぐらいまで人生を進んできましたが、学生を卒業して、ざっくり半分です。


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数年前に知人のつる薔薇が可憐で、シーズンになると小さくて多輪の花が咲き乱れる様子に感動して、心打たれました。

さっそく近くのホームセンターや販売店に足を運び苗を見てみましたが、やはり結構値が張ります。1株が2000円から3000円で、外国メーカー数社がかなり代替的に販売を独占しているような感じを受けました。


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あっという間に30度以上の真夏日が過ぎ去って、晴れ間が恋しい秋真っ盛り。


店頭にはブドウや梨、桃などの秋の味覚が色とりどりに並んでいます。栗も出てくるでしょうし、柿、ミカンもでてくるでしょう。スーパーの裏口から業者さんが品物の搬入をするところをちらっとみますが、お店の担当者はいつもより大忙しかもしれませんが、ディスプレイは楽しみなのかな?と思います。


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 この秋は秋晴れが少なくて、するすると涼しくなりました。


車窓から田畑を見ると、刈り取りを待っている黄金色のところ、刈り終わった田んぼ、まだ出したばかりの田んぼとまだら模様でした。私の子供のころは、同じ黄金色の田んぼが1週とたたずにあっという間に刈り取られ、ほんのわずかにはざかけされて、あとはトラックに籾米が運ばれている光景でした。

今年は天候不順とまではいわないものの、台風が多く、農家はお米だけでなく心労いかばかりかと思いました、がなんとか無事収穫を迎えることができました。


 農家でもないのに、”できました”というのは他でもない、今年は子供の学外活動で田植えをさせてもらって、最後の稲刈りをしたんです。ここ数日は曇りか雨ばかりがずっと続いていて、まれに見る晴れ間、今日だけ、の間隙をついて稲刈りに挑んだんです。

10時ぐらいに集合しても、すぐに収穫しないので結構待って、10時半ぐらいに開始です。

米の収穫は水と相性が悪く、収穫時の水分はその後の乾燥に大きな影響を与えるんだそうです。穀物はあの”高床式倉庫”の正倉院がそうであるように、湿気を嫌うんですね。

収穫時の穀物は乾燥をしっかり行わないと、カビる、腐る、虫がつくため、長期保存が出来ないんですね。あの30分の”待ち”時間がどの程度の好影響を与えるのかは知りませんが・・・ 

田園の中、29度予報とはいえ風もなくムシムシするあの30分は結構つらいですね、何もせず、野外で30分もボーっと待つのは。


 草刈りが始まると早いもんで、子供の鎌使いに最初は戦々恐々としてましたよ、手を切るのか足を切るのか、人を切るのかとね。

刈り取った稲もどのように扱うのかも知らいないので、最初の10分は、出来るだけアドバイスを我慢我慢です。畦沿いに一株一株平行に刈っていけば、2列目のための足場もできるのに、なぜかずんずん奥に入っていくのが滑稽ですね。

ジャングルのお口を目指す冒険家のように。刈り取った稲穂も畦から離れてしまうので、ぬかるんだ足場を引き戻って畦においてなんてのを繰り返すんです。言わないとわからないかな、面倒なことをしてるのにって思ってたら、お百姓さんが”そうやるんじゃねーよ、こうやって平行に刈っていったら、倒れてる株もつかみ易いだろう”なんて、テヤンで口調で説明してました。

ここらへんで代替開始後15分。こっからの集中力は期待通りで、スピードアップ、刈り取りも少しは安心して見られる感じに。最終的には怪我なく終わりましたが、こういう時こそ危ないなと思ってまいたが、ここからの時間が一番充実して楽しい時間なんで、あまり邪魔せずちゃちゃ出さず、写真を数枚とることに専念。

30分程度で畦から2メートルぐらいの刈り取りが完了です。

昔はイナゴが沢山飛んでる気がしましたが、そこまでいないんですね、2cmぐらい。

後は赤とんぼが優雅にすい、すすーいと飛ぶ風景がヤッパリ稲仮の田んぼにはよく似合いました。

 最後はコンバインでガガッと刈るだけで、ここは風情も詫び寂もなく、文明とはこんなものかと何とも複雑。

機械化、省力化、スピードと生産性と裏腹に、何も聞こえず、あの軽油と排気ガスと土埃のにおいと、それを見守る20数名の親子連れ。ここは省略ですね。

結局2俵か3俵とらたみたいですが、農業のイロハを端的に濃縮して垣間見えた収穫体験でした。農業はやっぱり単純作業が基本ですね。頭を使わないという意味では決してないですが、土にまみれ、植物に丁寧に手を加え、見守っているかと思えば、ある一瞬は機械でざざっとあっという間に終わり。

あとは落穂ひろいのミレーもなく、数か月の長期休暇に入る田んぼが残るのみ。


 農家目線はここまでですが、消費者目線は全く別で、パッケージにある産地、銘柄、値段とそれ以上にデザインをみて数秒で選別完了。作り手の苦労も天候不順の不安・工夫を全く鑑みることもなく、何の根拠もない”安全だとう”という思い込みであとはレジに直行。

 スローライフ、食の安全性なんて流行りのキーワードにもろ手を挙げて賛成するつもりは無いですが、自分で何かを作って食べたり、作ったりする活動があまりに今の生活には少なすぎるなと思いました。

汗を流し、泥にまみれば、腹も減り、ありがたみを感じ、自然の変化、季節の移り変わりを目の当たりにしますよね。気付けば消費者という言葉がその名の通りですが、消費しかしていない自分にびっくりです。

消費だけです、買うだけです。買ったものを使う、食べるだけ。そのために働く。買ったもので第一次産業のように育てたり捕食したりしても良いですし、第二次産業のように加工したりってことがすごく減りましたね。

子供の頃はありました。釣りをすれば生き物を感じますよ。釣れたり、釣れなかったらいろいろ勉強するんです、魚の生態を、餌を、潮を、天候を。自分で竹とんぼを作ったり、たき火をして焼き芋作ったりすると、竹の特性や若竹、乾燥竹の違いも判れば、”遠火”の遠赤外線もよくわかれば、1時間後にじっくり出来上がる焼き芋に感動しますよ。


 我ながらいつも気づかされます、反省します。

スイッチ一つでお金一つで物事が手に入る、達成できるこの環境が、私を幸せにしているようで、我慢・辛抱ができず、満足しがたい人間になっていることを。

効率や生産性、利便性、成長ばかりを求めるこの社会は正しいか間違っているかはわかりませんが、私の求めるものではやっぱりないと思います。

 先天的な障がいと考えると自分とは縁遠いものと考えがちですが、後天的なものはいつ自らの身におこるかわかりません。

パラリンピックの選手では、そういうハンディを精神的に乗り越えるためにスポーツを始めたという方も紹介されています。そもそも、人間の健康は崩れていくもので、いつ何時事故にあうやもしれません。

アッと思って気づいたらベットの上で、それから退院したら車いすなんてことも起きないわけではないでしょうし、突然の痛みで検査をしたら重病の宣告を受け、余命幾ばくもないとなるやもしれません。

健康に気を配り、健康の大切さをかみしめるのも大切ですが、怪我や病と付き合って行くことも、”学習”していく必要があるともいます。そういう意味で、すでに病気やけがで障がいをもっている方々は、先輩であり、先導ではないかと近頃は思うんです。

自分よりつらいであろう経験をして、それと戦い、乗り越え、折り合っていく心の強さを持っているんだと思います。

 歳をとれば目が、耳が、膝が悪くなって普段の生活が大変でなんて、テレビでも近しい人からも時々聞きます。悪くなるにも程度がありますが、自らの未来の時点で、目が突然見えづらくなり、治療法がないと言われ、あのスティックを持って街中を歩く時が来るのかもしれません。

 弱者への手当て、配慮が以下に行き届いているのかがその社会の発展を表しているとありました。

うなりました、この考え方には。そもそも点字ブロックが整備されたり、エレベータが駅に設置されたりというハード面だけでなく、障がい者教育の場を整備したり、その活躍の場を広げようとすること自体が、社会の力で、その社会は人の集まりなんですね。

 人生は続きます。どのように障がい者に接することができるでしょうか、考えてます。

 地下鉄の駅を地上に出たら、白いスティックを左右に振りながら点字ブロックの上を歩く方がいました。年の頃は20歳中頃の女性で、結構歩くペースは速いんです。

何なら、目が見えてるんじゃないの?と思える雰囲気が出てるんですよね、周りへの注意力が鋭いというか、あまり不安げになく歩いていました。

 杖を突いたご老人もよく見かけます。あの方たちは障がい者とは言わないんですよね。

若かりしときは、その杖がどれだけ役に立つんだろうかと本気で考えていましたが、今は違います。どのぐらい役に立つかは私にはわかりませんが、ものすごく役に立つんだろうなと、ご本人にとっては。車いすの若い女性もいました。

30代前半でしょうか。すれ違う私に、何か恥ずかしそうな、居心地が悪そうな雰囲気がありましたが、たぶん往来する歩道の幅が狭かったからでしょう、私が道を譲るか心配だったんだろうなと思いました。

 今年はオリンピックイヤーですが、パラリンピックも注目が高いようです。実際に見てみると、知らない競技ばかりなのと、四肢障がい者等は痛々しく思えてしまう私がいます。

なんと傲慢なと自己嫌悪に陥りますが、一方でここまではっきりと身体障がい者を普段の生活で見たことがないからかなと思ったりもします。世の中には身体だけでなく、精神障がい者の方もいます。

近くの農産物販売所では障がい者の焼いたパンを売っていて、よく買います、クルミパンを。

 子供の頃は、家の近くに障がい者学校がありました。近くと言っても2階の窓から遠くに見えるこんもりしたうっそうとした緑の丘の上に学校がたっていました。

学校の地図や、道路標識でそれが障がい者のものと知るんです。それ以降はそれ以上の関心も接点もないんです、自分の子供が生まれるぐらいまでは。

 今は違います、考え方は。明日は車いすかもしれないし、目が悪くなれば、視覚障害も自分におこるかもしれません。

 こんにちは

 最高気温が30度を下回ってくるとめっきり季節の変化を感じます。
ものすごく田舎に住んでいるわけではないので、どこで何を感じているのか改めて感じてみると。

 例えば、風。日向や歩道を吹く風は相変わらず夏のものだけど、少し日陰に入ったり、木陰で吹くそれは、なんというかミストが入っているような、ヒンヤリした、気持ちい風なんです。

就寝どきは窓を開けてもよいかどうか、悩む者の、さらっとした風だと大丈夫。たぶん湿度が違うんだろうけど、そういう数値で測れないそれ以外の違いがあるのでは?と思います。なんだ?と思ってましたが、思いつきました。感じている自分の体も季節の変化とともに変わっているんだろう。

真夏の戦闘モードでは、暑さに負けないように心身共に気が張っているのかな?秋になると、単純に言ってしまうと、体センターの感度を少し下げて、ビミョーな違いが感じられるように設定変更がされているんだ、と決めました。食欲も真夏とは違うし、睡眠の充実さも違うに決まってる。

そうだったのか、と勝手に納得する理由を考えてしまいました。

 それから、季節感を感じると言えばやっぱりスーパーでしょう。まずは果物。フルーツです。
春先まではミカンとイチゴが売り場を占拠してますが、夏場はスイカ、メロンの水分系のまーるいボールが占拠。桃もあります。秋口には、その流れが変わって、水玉型の房くだもの、ブドウが出てきます。香りは感じないけど、あの粒粒で緑、濃紫色の形状はドキッとします。値段もですが。

後は梨です、梨。梨は地味な印象が私はありますが、甘みが強すぎず、果肉が固すぎず、ジューシーでシャリッと食べ始めると止まらないあの魅惑には押され押されて、幾つ買うのか。毎週5玉が出荷終了までずっと続くのが我が家のデザートです。

 旬のものを取ろうと思いますね、歳を重ねると。隣に一年中並んでる野菜を見ると、不気味です。なんだピーマン、人参、なすびにキュウリさん。育てるとわかります、季節はずれにもほどがある。でも、気付いたらハウスでヒーターの中育てられたのを想像してしますと、健気で切なく、やっぱり美味しく頂かないと罰当たりですよね。

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