あれから1年がたったんですね。熊本ではまだ5万人弱が仮設住宅で暮らしているそうで、大変なご心労であると思います。日々の暮らしを奪われ、1年以上回復しないのはさぞつらい辛い経験だと思います。家族みんなが元気であれば少しは気持ちが報われますが、犠牲となった方がいる場合は1周忌となります。

 熊本は観光で何度か訪れたところです。あの雄大な自然は北海道とはまた違う力強さがあります。阿蘇山や草千里と言った大自然のスケールには圧倒されます。阿蘇山は三体が崩壊したカルデラです。山の内部が爆発でなくなり、山頂がすとんと落ちたような構造がカルデラです。崩落する前は富士山を上回る規模の山だったと聞きその雄姿がいかなるものだったのか、その爆発がいかほどに巨大だったのか想像してしまいます。

 熊本城下も街並みは整備されていて、東京の様なゴチャゴチャした様ではなかったような記憶です。熊本城もその規模に圧倒され、優雅であり力強い名城です。天守閣から見る城下の街並み、一方に有明海、もう一方に阿蘇山を望む景色は殿様になった気分です。
 東日本大震災を東京で経験し、6時間以上をかけて歩いて帰宅した経験はあるものの、家を失ったり、家族にけがが出たりと言うことはこれまでありません。先の見えない不安を抱える事がいかに辛いことか、想像することができません。

 仏教書ではしばしば、友人にあてた良寛さんのお見舞い文が紹介されます。

「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 
死ぬる時節には死ぬがよく候
是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候」

良寛さんは禅の僧侶で、修行を終えて各地を放浪した晩年の言葉ですので、その言葉に現世を達観した趣があります。もちろん、これほどのきれいごとを被災者が受け取ることは不可能ですが、くよくよしても不安に思ってもどうしようもない、ただ被災者である毎日を過ごすだけだということを言わんとしているのかなと思います。

 その時、その場でジタバタ不安に駆られのが、生きることでそれが人生なのでしょうか。苦労は買ってでもしろと言いますが、ほんとに自分から火中の栗を拾うような境遇に身を置く勇気はありません。日々是幸日と思って生きていきたいと思います。被災者の思いに寄り添うことは、こういう区切りの時は大切です。


 こういう時事の話題は家族でも話すことが大切ですね。被災者がまだたくさんいることを子供に知ることは周りの社会や日本、世界の出来事に目を向けることに繋がりますし、そこから地震とは、熊本とはなどの視野が広がることにも繋がるかもしれません。加えて、我が家の防災についても、今一度会話をしておくこと機会にもなります。食料の備蓄や何かあった場合の集合場所、連絡方法などを話しておくだけで、いざと言う時に大きく違う結果となるはずです。